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  [ブランド名]
クリスチャン・ディオール(Christian Dior)

[解説]
 大胆で奇抜なデザインを得意とする、天才肌のデザイナー、ジョン・ガリアーノ(John Galliano)氏によるラグジュアリーでセクシーなブランドです。ガリアーノ氏は1997年に「クリスチャン・ディオール(Christian Dior)」のレディースの主任デザイナーに就任し、このフランス有数の老舗メゾンを見事に再生してみせました。

 ガリアーノ氏の凄さは挑戦的なパンク精神とゴージャスな官能美を共存させているところにあります。細身のラインを好み、「俺の服を着たけりゃ、まずやせろ」と言い放ったともいわれます。

 ガリアーノ氏が手がける「クリスチャン・ディオー」のショーはこれまで「見る服」という感が強かったのですが、2005年春夏のパリ・プレタポルテ(高級既製服)コレクションは一転。リアルクローズ一色となりました。日常着やスポーツウエアなどの4パート構成で、花柄プリントのスカートやビーズで花の刺繍を施したデニムなど、「着られる服」を前面に押し出しました。

 それでも、ジョン・レノンの名曲「イマジン」をバックに「NOT WAR」「DIOR FOR PEACE」といったメッセージを書いた作品を登場させ、パンク魂を見せつけてくれました。マイクロミニスカートやショートパンツに、ツバ広の帽子や巨大なキャップという取り合わせにはロリータっぽいにおいも。ピンクや黄色、緑など、派手目の色をけばけばしく散りばめ、モデルが虹をまとっているかのような印象を与えていました。  ガリアーノ氏のコレクションではショーの最後に必ず本人がインパクト大のいでたちで現れます。2005年春夏ではステッキを手にしたチャップリン風の姿で観客を沸かせました。トレードマークはセクシーなひげと鍛えられたマッチョボディです。

 創業者が生み出した、ウエストを絞ったジャケット「ニュールック」を現代によみがえらせるなど、「クリスチャン・ディオール」の伝統に敬意を払っているようです。今では定番的存在となっている「Dior」というロゴのバッグは、ガリアーノが「ディオールの象徴に」と提案して、以前あったロゴを復刻したものです。

 移民としてロンドンで育っただけあって、ストリートファッションが下地にあります。ストリート発のバッドテイスト(悪趣味)をモード界に輸入したガリアーノは2004―2005年秋冬プレタポルテでは英国の1950年代のテディボーイ(不良少年)を思わせる作品を発表。2004年春夏ではタトゥーのように見えるトロンプルイユ(だまし絵)のTシャツやボディースーツに観客はビックリしました。落書きしたカギ裂きのドレスを作ったり、ホームレスを意識したコレクションを提案したりもしています。

 時空を無視したはちゃめちゃなエスニックミックスもガリアーノ氏の持ち味。2003―2004年秋冬では米国のスポーツカジュアル、中国風の刺しゅう、日本の着物地など、「和洋中」をごちゃ混ぜに。南米風のフォークロア衣装、中央アジアの絣(かすり)などもキャットウォークに持ち込みました。

 ルール破りが得意技のガリアーノはアシンメトリー(非対称)がお好き。ドレスのすそ丈がアンバランスだったり、バッグの深さが左右で違ったり。こうした型破りなスタイルは高度な技術があってこそです。ガリアーノは、著名デザイナーを大勢、輩出してきた英国のセント・マーティンズ校を首席で卒業しています。

 服飾史に関する知識の深さでも知られています。作品の発想を求めて、博物館や図書館で徹底的に文献に当たるそうです。それなのに、ガリアーノのドレスはゴージャスさの度が過ぎています。古典的な上流階級の豪華な衣装をわざとおおげさに誇張したようなデザインからは、意図的な演出過剰という手口によって、もともとの上品さや正統性をぶちこわしにしようとするしたたかな企みが読み取れます。

●ブランドデータ


[本国]
フランス(パリ)


[経営・日本での展開]
 フランスのブランド企業、クリスチャン・ディオールは1997年、ジョン・ガリアーノ氏を主任デザイナーに迎えた。同社は世界最大のブランド企業グループ、LVMHモエヘネシー・ルイヴィトン傘下。LVMHグループで「クリスチャン・ディオール」は「ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)」に次ぐブランド。

 ディオールは64年にカネボウとライセンス契約を結んだが、ブランド戦略を転換。2001年までにすべてのライセンスを打ち切り、日本法人による直営に切り替えた。日本法人は「クリスチャンディオール」。

 2004年10月にオープンした東京・銀座の「ディオール銀座」はアジア最大規模の直営路面店。地下1階から地上6階の7フロア構成。2005年は創立者のクリスチャン・ディオール氏の生誕100周年。

 かつては中高年向きというイメージが染みついていたが、97年に英国人デザイナー、ジョン・ガリアーノ氏をレディースの主任デザイナーに起用。ブランドの若返りに成功した。前任者は89年からデザイナーを務めたイタリの大物デザイナー、ジャンフランコ・フェレ(Gianfranco Ferre)氏だった。「イヴ・サンローラン・リヴ・ゴーシュ・オム(Yves Saint Laurent rive gauche homme)」を手がけたエディ・スリマン(Hedi Slimane)氏を2000年、メンズに迎え、新ブランド「ディオール・オム(Dior homme)」をヒットさせた。

[歴史]
 ジョン・ガリアーノ氏は1960年、スペインやポルトガルがあるイベリア半島最南端の地、ジブラルタルで生まれた。ジブラルタルは「欧州最後の植民地」と呼ばれた、英国の旧植民地。スペインと地続きで、英語、スペイン語、ヘブライ語、アラビア語が交錯する複雑な風土がガリアーノ氏のミックスエスニック志向の根っこにある。母親はスペイン人で、デザイナーの本名も「ホアン・カルロス・アントニオ・ガリアーノ」と、ラテン系の名前だ。

 ガリアーノ氏は66年、家族とともにロンドンに移住。労働者階級の家庭に生まれ、ストリートの空気を吸って育った。ウィルソン・グラマー・スクールを卒業後、ファッションの名門、セントマーチン校でテキスタイル科、モード科で学び、首席で卒業した。

 85年秋冬ロンドンコレクションでデビュー。90年春夏まで英国で斬新なコレクションを発表し続けた後、パリへ。パリコレを発表の場に選んだ。

 創業デザイナー、ユベール・ド・ジバンシー(Hubert de Givenchy)氏の後継者として95年、「ジバンシィ(Givenchy)の主任デザイナーに就任。97年から「クリスチャン・ディオール」のレディースの主要デザイナーに。87、94、95、97年に英国の年間デザイナー賞を受賞した。

 創始者のクリスチャン・ディオール氏は1905年フランスのノルマンディー地方グランビルで生まれた。47年に初のコレクションを発表。実用的で動きやすい戦時の洋服に慣らされ、沈滞していた第2次世界大戦後のモード界をよみがえらせた。

 細く絞ったウエストとたっぷり布地を取ったロングスカートが「ニュールック」と命名され、世界のモード界の新潮流となった。50年代には「Aライン」「Hライン」など、アルファベットの字形のシルエットを提案した。57年に急逝。

 ディオール氏の死後、イヴ・サンローラン、マルク・ボアン(Marc Bohan)、ジャンフランコ・フェレ氏がデザイナーを務めた。ガリアーノ氏は5代目。


[現在のデザイナー]
ジョン・ガリアーノ氏


[キーワード]
テイラーリング、エスニックミックス、パンク、ストリートファッション
[魅力、特徴]
 華やかでゴージャス。世界中の民族的なものをミックスした「スーパーエキゾチック」なテイストが素敵です。「クリスチャン・ディオール」よりも先端的なラインを打ち出してきた「ジョン・ガリアーノ」ブランドでも、ド派手なデザインだけじゃない「着られる服」が増えています。

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